「これは国益にも関わる大変な事件だと、我々は考えています。」重苦しい空気に包まれた警察署の大会議室で、本部から来た外事課課長は、そう切り出しました。ずらりと並ぶ、外事課の刑事達。最初に窓口になっていた所轄の警察署の刑事達は、会議室の隅に追いやられていました。

 これは、刑事ドラマのワンシーンではありません。社員が企業秘密を漏洩させたということで、クライアントである会社から依頼を受けて、かつて私が警察に相談した事件での、実際のやり取りです。

 その会社は、とあるジャンルで非常に高い技術を有していたのですが、問題の社員は、その会社の企業秘密を、某国の会社に、密かに売却していたのです。まさに、会社の存続を揺るがす一大事です。

 相談を受けた私は、直ちに警察の本部に相談の連絡をしましたが、「まずは所轄の警察署に相談に行ってください。」と、つれない対応をされました。仕方なく、所轄の警察署に相談に行って、詳しい事情を話しましたが、そこの刑事達も、「ひとまず署内で検討します。」という、のんびりとした対応。

 警察は大丈夫か!?と思っていたら、翌日になって急に、所轄の警察署から連絡があり、「すぐに警察署で打合せをしたいので、来てください。」とのこと。そこで警察署に行ったところ、冒頭のシーンに繋がるわけです(やっぱりドラマみたいに、「所轄は引っ込んでろ!」みたいなやりとりがあったんですかね)。

 さすがに、これくらいのレベルの事件の相談は滅多に受けませんが、社員による企業秘密の流出、流用の相談は、時たま受けています。企業秘密の管理体制の緩い中小企業ですと、退職した社員が、競合他社に就職したり、競合会社を設立したりして、その中で企業秘密を流用することは、そう珍しい話ではありません。

 ひとたび流出・流用されれば、大変なことになる企業秘密、セキュリティー面の強化はもちろんですが、法律面から縛ることは出来ないのでしょうか。そこで、今回の記事では、法律を駆使して企業秘密を守る方法を、徹底解説したいと思います。

法律を駆使して企業秘密を守る方法

 さて、こういったトラブルの時に、中小企業の社長さんからよく言われるのが、「あの社員を警察に告訴できないんですか!?」ということです。大切な大切な企業秘密、勝手に持ちだして使われたら、それは犯罪じゃないか!、と思う気持ちはもっともです。

 ただ、そうは言っても、これって「刑法上の犯罪」には、なかなかならないのですね。

 例えばこれが、会社に置いてある顧客台帳なり、技術資料が入ったCD-ROMなりを持ち出したのであれば、窃盗罪や横領罪が成立します。ですが、今の時代、そういった情報は、サーバー上に電子データとして保管されている場合が多いでしょう。そして、社員も、会社のPCにUSBメモリをつなげるなり、自分宛のメールにファイル添付して送信するなりして、電子データの状態で持ち出す場合がほとんどだと思います。

 ところが、電子データそのものを持ちだしても、窃盗罪や横領罪にはなりません。窃盗罪や横領罪は、あくまでも「物」や「お金」を対象にした犯罪であり、「情報」は対象にならないからです。それと、会社の秘密を騙しとるなんで、詐欺罪だ!と言われる方もいますが、詐欺罪も、あくまで「物」や「お金」を騙し取る犯罪です。

 それなら、上で紹介した外事警察の件は何だったの!?と思うかもしれません。実は、企業秘密の持ち出しや流用を犯罪として扱う法律は、刑法以外にあります。それは、不正競争防止法という法律です。

 不正競争防止法とは、ビジネス上のルール違反行為を色々と挙げて、それらを禁止したり、損害賠償を定めたりしている法律です。その不正競争防止法の中に、「営業秘密侵害罪」という犯罪が規定されていて、企業秘密を持ちだしたり、流用することが禁じられているのです。そして、これに違反した場合には、「10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」と、刑が定められています。

 そんな素晴らしい法律があるのか!これで、我が社の企業秘密を持ち出す不届き者を震え上がらせてやる!!と思うのはまだ早いです。実はこの不正競争防止法、使い勝手に問題があります。

皆さんの会社の企業秘密は「営業秘密」ではない?

 皆さん、「営業秘密」と聞くと、どんなものを想像しますか?顧客リストなり、技術情報なり、ノウハウなり、そういった、「会社にとって価値ある情報」を想像すると思います。

 ところが、営業秘密侵害罪で保護される「営業秘密」というためには、ある「3つの要件」を満たさないといけません。この3つの要件を満たさない限り、営業秘密侵害罪では保護されないのです。

 まず、1番目の要件は、「有用性」です。ようするに、ビジネスで有効に活用できる情報であることが必要です。「社長がセクハラ・パワハラを繰り返している」なんて情報だと、会社の信用問題には関わりますが、有用性は認められません。

 次に、2番目の要件は、「非公知性」です。ようするに、一般に知られていない情報であることが必要です。世間一般では知られていなくても、学術誌や論文などに載っている情報だと、非公知性は認められません。

 この、1番目と2番目の要件は、それほど問題にはなりません。そもそも、有用性も、非公知性もない情報であれば、流出もへったくれもないからです。

 ところが、問題になるのが、3番目の要件の、「秘密管理性」です。ようするに、秘密として管理されている情報であることが必要ということです。

具体的には、

  1. 情報にアクセスできる者が制限されていること(アクセス制限)
  2. 情報にアクセスした者が、それが秘密であると認識できること(客観的認識可能性)

が必要であるとされています。

 「そんなの当たり前じゃないか。そんな要件、問題なく満たすよ。」と思うかもしれませんが、そんなに甘くはありません。いや、甘くないというか、この要件、激辛です。

 例えば、顧客データベースを、顧客台帳にファイリングして、棚にしまっていた場合。あるいは、イントラネット上にアップされていた場合。これだと、①は全く満たしていません。たとえ、ファイル上にマル秘とスタンプがあっても、物理的に誰でもアクセスできる以上、①を満たさないのです。

 それでは、パスワードを入力しなければ、ファイルを開けないようにしていた場合はどうでしょう。これも、パスワードを知っている者がどれだけいるのかが重要になります。例えば、技術者が全社員の半分ほどの会社で、技術者にはパスワードが与えられていた場合。これだと、全社員の半分はアクセス可能なので、①を満たすといえるかは、難しいでしょう。

 さらに問題なのが、電子データではなく、担当社員が会得したノウハウです。そのノウハウが、会社の業務の中で会得された以上、会社の意識としては、あくまでも会社の財産でしょう。しかし、個々の社員が会得したノウハウを、いちいち会社の側で、電子データ化して、①や②によって、秘密として管理していますか?社員の頭の中だけにある限りは、①も②も、満たしてはいないのです。

 このように、営業秘密侵害罪は、「秘密管理性」の要件がとにかく厳しいので、実際に刑事裁判になるケースは、かなり少ないです。私が外事警察を動かした(?)事件の際に、担当の警察官から、これまでに全国で営業秘密侵害罪で刑事裁判になったケースの数を教えてもらいましたが、ビックリするくらい少ない数でした。。。

 警察の立場は、基本的に民事不介入です。「会社と社員のビジネストラブルは、民事で解決してくれ」というのが、彼らの本音でしょう。というわけで、営業秘密侵害罪で問題社員を刑事裁判にかけることは、基本的には、期待しないほうが良いでしょう。

 そこで次は、刑事ではなく、民事の手段を使って、企業秘密を守る方法を解説したいと思います。

刑事ではなく民事で企業秘密を守る

 まず、当たり前の話になりますが、法律云々の前に、会社内のセキュリティをしっかり管理することが、何よりも大切です。実際、私がこれまで企業秘密漏洩の相談を受けた会社さんは、機密情報の管理をきちんとされておらず、機密ファイルにパスワード設定をしていなかったり、全社員がアクセス可能な共有フォルダ内に入れていたり、「そりゃ秘密も漏洩するよ」というような状態でした。

 例えば、Officeファイルのダウンロード・印刷・画面キャプチャー等を禁止したり、閲覧有効期限を設定したりするソフトを取り扱っている会社さんもあります。そういったソフトを導入するコストと、企業秘密が漏洩した場合のコストを比較すれば、前者の方が安く済むことの方が、多いと思います。

 それに、このようにセキュリティをしっかり管理していることは、いざ企業秘密が漏洩した場合にも、対処がしやすくなります。というのは、上で解説したとおり、不正競争防止法の「営業秘密侵害罪」が成立するためには、「秘密管理性」の要件が重要になります。そして、セキュリティをしっかり管理していれば、この「秘密管理性」が認められやすくなり、営業秘密侵害罪が成立する余地が出てきます。

 さらに、不正競争防止法は、企業秘密を漏洩させた者に対して、刑事上の責任である営業秘密侵害罪を課すだけではなく、民事上の責任である損害賠償義務を課したり、企業側からの秘密情報使用差止請求権を認めています。そして、こちらの民事上の責任については、営業秘密侵害罪ほど、成立するためのハードルが高くはありません。

 このように、不正競争防止法を活用するためにも、セキュリティをしっかり管理することは、大切なのです。ハード面・ソフト面、両面から企業秘密を守るわけですね。

 そして、これらの方法以外にも、企業秘密を守る「劇薬」とも言える方法があります。

社員と秘密保持契約を結ぼう

 それは、会社と社員との間で、秘密保持契約書を結ぶという方法です。

 普通、秘密保持契約書って、会社間で結ぶイメージですよね。会社が社員との間で結ぶことなんで出来るの?有効なの?と思うかもしれませんが、別に問題はありません。

 それでは、秘密保持契約書を結ぶことに、どんな意味があるのでしょうか?とういか、そもそも秘密保持契約書を結んでおかないと、社員に秘密保持義務は課されないのでしょうか?

 実際のところ、秘密保持契約書を結ばなくても、社員には秘密保持義務があります。就業規則に、秘密保持の規定があればもちろんのこと、もしそのような規定がなくても(それどころか、そもそも就業規則がなくても)、社員には、労働契約上の労働者の義務として、会社の秘密を守る義務があり、これに違反した場合には、法的責任を負います。

 とはいっても、これをきちんと理解している社員が、どれだけいるのでしょうか。「企業秘密を漏らすことは、良くないことだな。」、「漏らしちゃった場合は、懲戒処分を受けるかもな。」程度の認識は、誰でもあると思います。

 ですが、「民法第415条による債務不履行の損害賠償責任」になるとか、「民法第709条による不法行為の損害賠償責任」になるとか、「不正競争防止法第4条による営業秘密侵害の損害賠償責任」になるとか、「不正競争防止法第21条の営業秘密侵害罪」になるといった、具体的な法的責任までは、理解していないのではないでしょうか。

 「自分には、企業秘密を守る法的義務がある。それに違反した場合は、損害賠償などの法的責任を負う。場合によっては、犯罪になって刑事罰まで受ける。」ということを、社員にきちんと理解してもらうためにも、会社が社員との間で秘密保持契約書を取り交わすことには、大きな効果があると思います。

 「でも、社員と秘密保持契約書を取り交わすなんて、なんだかブラック企業みたい。。。」と思うかもしれません。ですが、秘密保持契約書の内容は、社員が法律上当然に負っている秘密保持義務を、確認するものにすぎません。むしろ最近では、大手企業こそ、こういった取り組みをして、秘密管理体制をしっかりと構築しています。

 このように、会社が社員と秘密保持契約書を取り交わすことは、社員に対して、会社として企業秘密をしっかりと管理するという方針を示し、社員の意識改革を促す、大きな意味があるわけです。

 ですが、ここまでやっても、企業秘密を(確信犯的に)漏らす、不届き社員もいるわけです。そこで、社員に企業秘密を漏らされた場合、会社として、法的にどのような対処ができるか解説をします。

企業秘密を漏らした社員への法的対処

刑事の手段

 これまでの解説しているとおり、企業秘密を持ちだされた場合、刑事事件にすることは難しいです。不正競争防止法違反(営業秘密侵害罪)で警察に告訴をしたところ、よほどの大企業か、社会的に価値ある営業秘密でない限り、相手にしてもらえないでしょう。

 そうはいっても、告訴すること自体は自由です。そこで、とりあえず警察署に相談すると共に、その社員に対して、「警察署に告訴の相談をしているところである。」と伝えれば(嘘ではありませんよね)、不安になって、今後の企業秘密の流用は控える可能性があります。

民事の手段

1.社員本人への内容証明郵便

 その社員に対して、営業秘密の使用差止や損害賠償金の支払いを求める、内容証明郵便を送る方法があります。

 「内容証明郵便」とは、「誰」に対して、「どのような内容」の書面を、「いつ」送ったのかということを、郵便局が証明してくれる、特殊な郵便です。

 内容証明郵便の本来的な用途は、あとあと裁判になった際に、「相手」に対して、「このような内容」の書面を、「いつ」送った、ということの証拠にするためのものです。そのため、内容証明郵便を送られた社員は、いずれ会社が裁判を起こしてくる可能性がある、というこちらの強い意志を感じ、プレッシャーを受けます。また、内容証明郵便のイメージや、あの独特の書式も、プレッシャーを与えることに役立ちます。

 内容証明郵便が送られたくらいでは、損害賠償金までは支払ってこないかもしれませんが、少なくとも、今後の企業秘密の流用は控える可能性があります。会社名義で送ってもいいですが(2,000円もかかりません)、弁護士に依頼して、弁護士名義で送ると、より効果的でしょう。

2.社員が就職した会社への通知書

 その社員が競合他社に就職して、その仕事の中で企業秘密を流用している場合、その会社に通知書を送る方法もあります(内容証明郵便を送ってしまうと、いきなり喧嘩腰になってしまうので、普通郵便くらいが穏当でしょう)。

 ただ、確たる証拠も無い中で、その社員が企業秘密を使用したと決め付けるような通知書を送った場合、ヘタをすると、こちら側が名誉毀損になってしまいます。ある程度証拠を掴んだ時点で、「その社員は**といった情報を貴社内で使っていませんか。それは当社の企業秘密の可能性があり、もしそうであれば、法的措置も検討せざるを得なくなるので、確認させてください。」くらいに抑えておいたほうが良いでしょう。

 そして、現在の勤務先に連絡が行けば、その社員に対して、かなりのプレッシャーになるでしょう。

3.民事訴訟の提起

 これらの対応でも効果がなければ、企業秘密の使用差止や損害賠償金の支払いを求める、民事訴訟を提起する方法があります。

 裁判所は、客観的な証拠を何よりも重視し、基本的に、証拠がないと当事者の主張を認めてくれません。そのため、企業秘密の流用を裁判所に認めてもらうことは、かなり大変です。

 ただ、社員(一個人)が会社から訴えられるというのは、非常に大きなプレッシャーになります。裁判中に、ヘタに企業秘密を流用して証拠を掴まれたら、裁判に負けてしまうことになるので、社員としても、今後の企業秘密の流用は控えるでしょう。

 そして、裁判というのはとにかく長いので(普通に1年以上かかります)、裁判中に流用を止めるだけでも、大きな意味があります。

プレッシャーを与えることが重要

 というわけで、社員による企業秘密の流用に、法的にどのように対処できるのか、色々と説明してきましたが、どれも「プレッシャーを与える」という話ばかりですよね。そうなんです、結局のところ、ひとたび企業秘密が流用されてしまうと、それに対する直ちに効果のある法的手段というのは、実のところありません。

 だからこそ、社員との間で秘密保持契約書を結んでおくことで、事前に防ぐ方法が、何よりも大切なのです。秘密保持契約書の中で、企業秘密流用時の懲戒処分や違約金の定めをしておけば、社員も軽い気持ちでは流用できないでしょう。

 皆さんの会社では、社員との間で、きちんと秘密保持契約書を結んでいますか?